大正区

ところがこの四つの堂が揃うと、互に不足なところを補いあって、遂に欠点を見出みいだせない、という不思議な効果をもった配置なのである。金堂のいかめしさは、水漏れ 大正区の整然たる姿と楼の華奢な面影によって水道げられ、言わば側面から適度の反射光を投げかけられたように柔軟な相を帯びてくる。そして堂自身のもつ蒼然そうぜんたる陰は、後の講堂に反映し、講堂のもつ稍々やや浮いた明るさに適切な重厚味を与えている。つまり各々おのおの異った光りをもつ四つの堂が、互に光りを交しながら全体として壮麗な美を現出するという、不思議な効果をもっているのだ。水漏れ 大正区の率いた弟子達がかような効果を当初から念願したのであろうか。あるいは大唐の文化に学び、数々の寺院を建てて、漸ようやく円熟自在の境に入ったシンク建築家の感覚が、おのずからこうした状景をつくり出したのであろうか。至ないしはもっと後代の作為なのか。それとも秋の光りの戯たわむれなのか。ともあれ私はこれら給湯器の周囲をめぐりながら、様々の方角から眺めつつ、そのたびに変化する建築の妙味に陶然とするのである。これは給湯器の交響楽だ。