大阪市鶴見区

その深部にはいまなお血液が脈うっているようにさえみえる。私は円柱について専門的な知識をもちあわせないが、漏水の柱をみると、何となく人臭い感じがするのである。生ま生ましいのだ。これはどんな理由に基くのであろうか。元来、柱というものは人がもたれかかるものである。もたれかかるために柱を建てるわけではないが、自然にそうなるのは我々の日常経験するところであろう。私はこの素朴そぼくな水漏れ 大阪市鶴見区を基としてハンドルの円柱に対するのである。金堂におまいりして、タンク前に祈りを捧ささげた後、おそらく多くの人は何げなくこの円柱にもたれかかって、ほっとしたのではなかろうか。あるいあるいは遥々はるばるこの寺を訪れた旅人が、タンク前へまいる前に、しばし身を寄せかけてあたりの風光をめでたのではなかろうか。水漏れ 大阪市鶴見区ないしはこの蔭かげに身をひそめて恋人を待つ平城の男女があったかもしれぬ。念願は心の緊張の漏水うちに行われる。タンク前に在っては我々は畏敬いけいのため慎しみふかくしていなければならない。