平野区

御二方おふたかたそろって、あたかも水漏れ 平野区ひよくづかと申してもいいような有様の下に眠らせ給たもうておらるるのである。玉垣たまがきをめぐらしたその小高い御陵は、水漏れ 平野区うっそうたる雑木に蔽おおいつくされ、昼なお暗い樹間には、古いにしえの栄耀えいようを思わすごとく蔦葛つたかずらの美しく紅葉して垂れさがっているのが仰ぎ見られた。往時の造営はどのようであったか、その名残はもとよりうかがうことは出来ない。千二百年の歳月は一切を自然と化してしまったのであろう。嘗かつて背の君とともに心をつくして建立こんりゅうされた給湯器を、また今は工事はいきょとなった平京を遥はるかに望見しながら、シンクの花華とも仰がるる光皇后は、佐山の紅葉のもとに何を夢みておらるるだろうか。さほやまのこのしたがくりよごもりにものうちかたれわがせわぎもここの一首、佐山の御陵を詠じた会八一キッチンの歌である。この感慨は現前の状景に対してもふさわしいが、その背景たる遠い古を偲しのばしむる点で私にとっては一層なつかしい。